ハッセのフーガとグラーヴェ顛末記 (2006.09.02)
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くにたちバロックアンサンブルが第4回演奏会で演奏する、ハッセ作曲(?)の「フーガとグラーヴェ」の楽譜は、出版されていない。何と私たちは、18世紀の手稿譜(手書きの楽譜)に基づいて演奏するのだ。では、その手稿譜はどのように手に入れたのか?それは、日本から、はるかドイツとスウェーデンとの間で交わされた無数の英文電子メールと、音楽を愛する、見知らぬ人たちの親切に支えられた物語なのである。
1.発端
ひとりの団員から、ドイツの先鋭的古楽アンサンブル、ムジカ・アンティクヮ・ケルン(以下MAK)のCD「ハッセ:サルヴェ・レジーナ」に収められている、ハッセの「フーガとグラーヴェ」という曲をやってみたい、と提案があったのは、もう数年も前のことだった。MAKは、ノン・ヴィブラートや開放弦の響きを大胆に取り入れた音造り、強烈なアタックとダウンビートの打ち込みによるドライブ感、考えられないような早いテンポでも一切破綻を見せない、精密機械のようなアンサンブルなど、他に類を見ない、個性的な楽団である。忘れられた曲を発掘し、活き活きとよみがえらせる、嗅覚と手腕にも定評がある。彼らが演奏するその曲が、とても良いのだという。私はその曲は聴いたことがなかったが、MAKのファンの一人としては、関心をそそられた。
その話にすぐ乗ったのが、指揮者の「しげ\(0\0)ゝ」氏であった。さっそく楽譜探しにかかったが、そもそも、その曲は出版されていない。MAKのCDの解説書には、楽譜の出典は「Musikakademische Bibliothek Stockholm」と書いてあるだけで、これをそのままインターネットで検索してもヒットしない。一方、作曲者については、マンハイム楽派の作曲家、フランツ・クサヴァー・リヒターの作品とする説もあるという。リヒターの「アダージョとフーガ」の楽譜は、探してみると手に入った。試奏してみると、フーガとしての緻密さと、半音階の多用や和声の進行による情熱性を兼ね備えた佳曲だが、細部においてMAKが演奏している曲とは異なることが判明。この曲を取り上げるならば、何とかMAKが演奏している、「ハッセの」フーガとグラーヴェの楽譜を探さないと、ということで、その時はお蔵入りとなってしまった。しかし、「知られざる名曲」を求める私たちの心の底には、いつかこの曲の演奏を実現したい、という種がまかれたのだった。
2.ムジカ・アンティクァ・ケルンへ突撃
「ハッセのフーガとグラーヴェ」の話が再び持ち上がったきっかけは、MAKが解散するとの噂だった。相手が解散してしまっては、楽譜についての問い合わせもできなくなってしまう。状況の変化に背を押される形で、5月下旬、ついに意を決して、MAKホームページにある問い合わせ先に電子メールを送ってみたのだった。
しかし、待てど暮らせど、MAKからは一向に返事が来なかった。もう一度督促のメールを送らなければいけないかと思い始めた頃、「しげ\(0\0)ゝ」氏から第一のヒントがやってきた。
3.出会いと落胆
それは、「MIZ: Deutsche Musikinformationzentrum」という、ドイツの音楽情報サイトだった。「ここに問い合わせたら何か分かるのでは」という。しかし、私が見る限り、それはポータルサイトで、ドイツの音楽関係サイトへのリンク集に過ぎない。英語情報もあまり多くない。ここに個別の曲について問い合わせても望み薄だろうな、と思いつつ、サイト内でHasseを検索してみた。すると、驚いたことに、Hasse-Geselschaft(ハッセ協会)というホームページへのリンクが、二つも出て来たのである。一つのサイト(http://www.hasse-gesellschaft-bergedorf.de)はドイツ語のみで、もう一つ(http://www.hasse-gesellschaft-muenchen.de)には英語ページもあった。ドイツ語はロクに読めないが、わかる範囲で推測しながら見ていくと、どうやらドイツにはベルゲドルフ(ハンブルク近郊、ハッセの生誕地)とミュンヘンの2箇所にハッセ協会が存在し、ベルゲドルフ・ハッセ協会は資料コレクションや、付属のオーケストラを備えているなど、本家本元らしい。いずれのホームページにも問い合わせ先が示されていたので、6月下旬、両方に電子メールを送ってみた。
『ハッセの作品の資料を探している関係で、メールを差し上げます。その作品とは、ムジカ・アンティクヮ・ケルンのアルバム「サルヴェ・レジーナ」に収録されている、ト短調の「フーガとグラーヴェ」です。私は日本のアマチュアのチェロ奏者で、バロック音楽専門の楽団に所属しています。楽団でこの作品を演奏しようと考えているので、資料を探しております。この作品はリヒターの作とする説もあるようで、我々もリヒター作とする現代の楽譜は既に入手しています。しかし、その楽譜とMAKの演奏は随所で食い違いが見られます。原典資料を探すのに、ご助力いただければ幸いです。もしも資料を所蔵している図書館や資料館を教えていただければ、こちらから直接コンタクトします。』
ミュンヘン・ハッセ協会の反応は驚くほど早かった。何と翌日には協会のクラウス・ミュラー博士という人から返事が来たのである。しかし、返事の内容は意外なものだった。
『ご関心と、お問合せありがとうございます。ハッセ全集の校訂に当たっているホーホシュタイン教授に問い合わせたところ、フーガとグラーヴェの2曲は確かにハッセの作品ではなく、リヒターの作品であるとのことでした。ですから、あなたは正しい楽譜をお持ちです。ムジカ・アンティクヮ・ケルンのゲーベルはハッセの名を付していますが、これは誤りと見なされています。彼らの演奏と、お持ちのリヒターの楽譜との相違点は、ゲーベルと彼のスタッフによる変更(adaptation)によるものと考えざるを得ません。なんでしたらムジカ・アンティクヮ・ケルンに直接連絡して、どのようなことをしたのか、確かめてみてはどうでしょうか。』
これで万事休す。結局、我々の持っている楽譜は正しいものだったのだ。「ハッセのフーガとグラーヴェ」は存在しない。何しろ権威あるハッセ協会が言っているのだから間違いない。ちなみに、もう一つのベルゲドルフ・ハッセ協会からは、よくわからないという返事が来た。
4.北国からの光明
しかし、何とかして「ハッセのグラーヴェとフーガ」のオリジナル資料を手に入れたい、という私たちの情熱は、この程度では納得しなかった。とにかく、ハッセの名を記した原典資料を目にしないことには、引き下がるわけにはいかないのである。そこへ、「しげ\(0\0)ゝ」氏から第二のヒントがやってきた。『ニューグローヴ音楽事典のハッセの項には、スウェーデン王立図書館に「ト短調の四重奏」の手稿譜があると書いてある。それではないだろうか。』
さっそく私はスウェーデン王立図書館のウェブサイトを探し出し、さまざまな資料検索をかけてみた。しかし、それらしいものは見あたらない。仕方なく私はまた電子メールを書いた。
『貴図書館にて所蔵の可能性がある、ある音楽作品の原典資料を探しています。問題の作品は、18世紀ドイツの作曲家ヨハン・アドルフ・ハッセの「フーガとグラーヴェ」ト短調で、ムジカ・アンティクヮ・ケルンのアルバム「ハッセ:サルヴェ・レジーナ」に収録されています。「ニューグローヴ音楽事典」によれば、スウェーデン王立図書館はハッセによる「弦楽のための四重奏曲ト短調」の手稿譜を保有しているとあり、これが私の探している「フーガとグラーヴェ」ではないかと考えています。図書館の検索システムで検索をかけてみましたが、それらしいものは見つかりませんでした。そのような可能性があるか、そして、もし確からしい場合には、どうしたら写しを入手できるか、ご教示ください。』
4日後、図書館のマニュスクリプト(手書き資料)部門から返事がきた。なんと丁寧な対応だろうか。
『スウェーデン王立図書館から、当館が保有するト短調のフーガとグラーヴェに関する、貴殿のお問合せが転送されてきました。我々はその曲の手稿譜をいくつか保有しており、そのうち一つは作曲者をハッセとしています。ご指摘のとおり、その曲は最新のニューグローヴ音楽事典には「四重奏」として掲載されています。フーガ主題の一つは、全音符で半音階的に下降して始まります。もし録音されている音楽と比べたいようでしたら、さわりの部分をもっと詳しく説明します。写しを希望されるのであれば、担当の○○女史へご連絡ください。』
ビンゴ!ついに見つけた。特徴から言って、私たちの捜し求めていた「フーガとグラーヴェ」に違いない。さらに、住所を伝えればコピーも送ってもらえると言う。当然、すぐに送ってもらうことにした。
送られてきた手稿譜コピーは、スコアとパート譜のセットで、スコアの右肩には、明確に「ハッセ」と書かれていた。「リヒターのアダージョとフーガ」の譜面と比べても、いろいろと違う部分があった。こうして、私たちはついに「ハッセのフーガとグラーヴェ」を演奏できるようになったのである。ちょうど第4回演奏会に向けた選曲の最中だったので、早速演奏会にかけることにしたのである。
5.ハッセ協会を助ける
さらに、この話には後日譚もついている。ミュンヘン・ハッセ協会のミュラー博士には、「ハッセの真作でなくてもいいから、原典資料を所蔵しているところを教えて欲しい」と言ってあったので、スウェーデン音楽図書館で見つけた後、もう必要なくなった、と断りを入れておいた。すると、先方から逆に問合せを受けたのである。2007年のライプツィヒ音楽祭でフィンランドのグループが「ハッセのフーガとグラーヴェ」を演奏する予定なのだが、ドイツのハッセ専門家の間ではリヒター説が定説なので、原典資料に当たりたい、そのためスウェーデンで見つけたという資料に関する連絡先を教えて欲しい、というのである。もちろん丁寧にコンタクト先を教えて差し上げた。
6.おわりに
戦後、古楽器による演奏の復興が始まって以来の変化は、単に楽器を当時のスタイルのものに持ち換えただけではない。作曲者の自筆譜や同時代の筆写譜などの一次資料に基づいて、既存の出版譜から編集者の上塗りを拭い去って本来の姿を見出すことや、また知られていないレパートリーの発掘が、盛んに行われてきた。アーノンクール、レオンハルト、ブリュッヘンといった古楽のパイオニアたちは、皆そうして道を切り拓いて来たのである。正直なところ、日本に住むアマチュア演奏者が、演奏に当たって、一次資料まで吟味することは難しい。今回は、求める曲の楽譜が出版されていないという事情から、手稿譜のコピーを入手することになったわけだが、それでも、自分たちの活動が、古楽の偉大な先人たちの歩んだ道をたどりつつ、新たな段階に至ったことを思わざるを得ない。
さらに、昔の手稿譜は、楽譜の書き手である音楽家と、その楽譜を見て演奏した演奏家、そしてその音楽に耳を傾けた聴衆の姿を彷彿とさせる。今回取り寄せたコピーは、フーガ部分は端正な筆致で細かく書き込まれているのに対し、グラーヴェの部分は別人が書いたかと思うほど、大きめに大胆な筆跡で書かれている。そこにどんな事情があったのか、知る由も無いが、私たちがこの曲を演奏するとき、楽譜の書き手の姿は、確かにその時代を生きた人の実在感を持って、私たちの心に迫ってくる。18世紀ヨーロッパの音楽が、21世紀の日本に生きる私たちの心に語りかけて来ることの不思議。そして私たちは誰とも知らぬ昔の音楽家と、人と人として向かい合う。その不思議な縁を感じつつ、音楽を鳴り響かせたい。